Kamis, 24 November 2016

はじめまして!

こんにちは!

やっと今日は初めて日本語でこのブロッグに記事を載せました!

初めての日本語の記事で、まずは自己紹介をさせていただきます!


はじめまして、メタと申します。23歳です。歌や読書が私の趣味です。最近は旅行も興味になっています。インドネシアの中部ジャワのスマラン生まれ育ちです。201510月の終わりにスマラン国立大学を無事に卒業しました。その大学の日本語教育科で勉強していました。どうして日本語なんでしょうか?

日本語の勉強と言えばすぐ母のことを思い出します。なぜかというと、母ももともと日本語学習者でしたから。高校のとき、初級日本語を学んだことがある母はずっと日本語に興味を持っています。その高校の日本語の授業にいくつかの日本の歌が教えられ、母に一番印象が残った部分だと思います。結婚した後、私が生まれてから、主婦になることにした母は家にその高校のころ学んだ日本語の本をきれいにしまって、時々開けてみました。そして母は私が昼、友達遊んでから帰ったとき、昼寝をさせました。昼寝の前に母はよくその本の中にある歌を歌ってくれました。その歌のタイトルは「春が来た」


春が来た、春が来た
どこに来た
山にいた里に来た野にも来た
花が咲く、花が咲く
どこに咲く
山に咲く、里に咲く、野にも咲く
鳥が鳴く、鳥が鳴く
どこで鳴く
山で鳴く、里で鳴く、野でも鳴く


懐かしいな!
その歌を歌って終わったら母が「あなたは私の恵みよ。神様のプレゼント」とインドネシア語で言ってくれました。その歌詞や母がゆった文の意味が私も母も分かりませんでしたが、気持ちがよくて、ささっと寝ました。

その歌は生まれて初めて聞いた日本語です。気がつくと日本語は特別な印象を与えました。大きくなってきてから、母はもうその歌を歌ってくれなくなりました。時間につれて日本語も生活からだんだん私に忘れられてきました。しかし、高校に入ったとき、日本語の科目がありました。初級日本語で、週に一回授業がありました。いつもその日本語の授業を待っていました。そして学校の日本語クラブも参加しました。高校三年生の時、もうすぐ日本語の授業が受けられなくなっちゃうなと気がづきました。高校卒業試験の後で、もう授業がないため、毎日図書館へ日本の観光地や文化に関する動画や記事を見に行っていました。毎日、学校の門が開いてから図書館が閉まるまでインターネットでアクセスした動画に夢中になりました。

高校を卒業した時、何となく日本語学科に入ることにしました。高校のとき理系を勉強していた私は周りの人や友達に「理系の卒業生は医学部や理科学部に入るはずじゃないか」と言われました。それだけましだが、ある人は「へえ、日本語学科に入っちゃったの?困ったな、後どんな仕事をするか絶対考えなさいよ!」と言った人もいました。母だけが「お母さんは嬉しいよ。頑張って、あなたの将来だから」。
その母が嬉しそうな表情を見て、何があっても日本語を勉強し続けようと決めました。

日本語の勉強は私と母のきずなになり、いつも母の愛に支えられていることも感じます。
だからこれからも日本語を学び続けます。母は私の恵み。神様のプレゼント。
母は私の恵み。神様のプレゼント



去年の5月にある日本語のスピーチコンテストでこのストーリを与え、スピーチが終わった後でこういう質問をいただきました、「今まで、母に対して恩返しは何ですか?
面白い質問だと思いますが、答えるのはやはり難しいですね。そのときは「母に恩返しとしては頑張って日本語を学び続けることです。」と答えました。

コンテストの結果のお知らせのとき、私はそのコンテストの入賞の一人でしたが、実はその興味深い質問は今までも答えられません。恩返し、車や家を買ったり沢山お金を差し上げたりすればそれは恩返しとは言えると思われますか。
母に恩返しと聞いたら、皆さん、どう思いますか?

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